「ぜいたくは敵だ」とは
「ぜいたくは敵だ」とは1940年に我が国の官製国民運動である国民精神総動員運動の中で制定されたスローガンのこと
ぜいたくとは
ぜいたくとは必要以上に金銭などを掛けて物事を行うことで、裕福な人が金銭的に高価な物を買い揃えたり、遊びや趣味などに多額のお金を掛けたりすることです。
ぜいたくは最低限度の生きるための生活には必要無いものですが、最低限度の生活を続けていくことは誰にとっても我慢が必要な事で、我慢を続けることはストレスとなりますので、たまのぜいたくはストレス解消にとても有効な方法なのです。
ある意味ぜいたくは「豊かさ」の象徴でもあり、高価なモノをたくさん持っていること、趣味やレジャーなどに多くのお金を費やすことで私達は豊かさを満喫し、仕事が辛くても我慢することが出来るのです。
仏教的生活
仏法に説かれる戒律を守り仏法に根差した生活を送るには欲望を捨てることが求められますが、欲望というものは在家の者にとっては生き甲斐であり、生きる楽しみでもあることから、欲望を捨て去った仙人みたいな生活は耐えられないはずですから、まずは「小欲知足」の実践から始めてみることをおすすめいたします。
釈迦の時代には出家した修行者である比丘(びく)は修行に専念するべきということで、俗世間の欲望を捨てると共に、自分の物を所有したいという所有欲でさえ捨て去るために一切の所有を認めませんでしたが、唯一修行のために必要な物として「三衣一鉢」(さんえいっぱつ)のみ所有することを許されました。
仏教の出家者にとって修行の大敵が欲望であり、欲望を消滅したその先に悟りがあるのですから、僧侶は衣服を着飾ったり、お酒を飲んだり歌舞音曲を楽しむようなことをしてはいけないのです。
仏教の世界ではぜいたくは敵なのです。
贅沢三昧とは
贅沢三昧とはしたい放題の豪華な生活をすることで、親からの莫大な財産を受け継いだ人や一代で財を成した人が豪邸に住み、家の中は高級家具が並び、高級車を何台も所有し、毎日高級料亭で食事をする人のイメージですが、身の程に合った生活なら問題ありませんが、贅沢な生活にあこがれて借金をしてでも贅沢三昧をするような生活は長続きしないものです。
お金というものは持っているだけでは何の役にも立ちませんので、使うことによって自らの生活が豊かになり、世の中が廻りますので、たくさんお金を持っている人がたくさんお金を使うことに関しては当然のことでありますが、お金を使うことで幸せになるかどうかが一番の問題なのです。
一般庶民から見たら羨ましい限りの贅沢三昧の生活を送っていても病気や事故などの不幸が続く家はたくさんあることからも、贅沢な生活を送るが故に気が付かぬうちに多くの人を傷付けてしまってていたり、他人の不幸の上にぜいたくな生活が築かれているのだとしたら、永遠に続くものは何も無い、つまり諸行無常という原理と自業自得という大宇宙の原理が働いているのかもしれません。
たまのぜいたく
一般庶民にとっての楽しみは「たまのぜいたく」であり、普段は節約した質素な生活を送っていても時々は家族揃って外食をしたり旅行に行くことが大きな喜びとなり、次の楽しみのために普段の質素な生活を我慢することか゛出来るのです。
仏教の小欲知足という観点からも、たまのぜいたくは好ましいことで、少しだけのぜいたくで満足することを実践すれば無駄なお金を使うこともなく家族が平和で居ることが出来る方法なのです。
お焚き上げ供養にて
やすらか庵のお焚き上げ供養では亡くなった方の遺品整理で送られてくる品物がよくありますが、趣味や旅行に莫大なお金を使ったと思われる写真や思い出の品が箱の中にたくさん詰められています。
趣味や旅行などは贅沢だと言われればそうなのですが、亡き人が残した物はご本人が自分の人生の中で熱中することが出来た証であり、忘れないために、そして後で見て楽しむための物だったはずです。
そういった方の残した思い出の品は天にお送りするのが理想の方法です。
仏教では捨て去ることを説きますが、気持ちや思いのこもった物はお焚き上げで天にお送り致しましょう。