即身成仏とは
即身成仏とは真言密教に於ける最高の境地で、生身の体を持ったままで大日如来と一体化すること。
釈迦の成仏
コーサラ国の属国であるシャーキヤ国の国王シュッドーダナを父とし、隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤーを母として生まれた釈迦は本名をガウタマ・シッダールタ(गौतम सिद्धार्थ Gautama Siddhārtha)と言い、何一つ不自由の無い生活をしていましたが、29歳の時に王城を抜け出して出家して次々と有名な教祖たちに教えを乞うが満足できる内容ではありませんでした。
その後ウルヴェーラーの森に入って6年間様々な難行苦行を行い、最後に水と豆類などで何日も断食行を行うと、釈迦は骨と皮だけになってしまい、村娘スジャータの乳粥の施しを受けた時に難行苦行の無益さを悟った釈迦は体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想し、ついに悟りを得ることが出来て仏陀になりました。
生きている実在の人物で仏になったことを成仏と言い、歴史上で釈迦が初めてのことでした。
釈迦の前世
「ジャータカ」と呼ばれる経典は「本生譚」(ほんしょうたん)とも言われ、釈迦の前世の物語で、釈迦が生まれる前に様々な人や動物として生きていた話がまとめられていて、王子だった時に飢えた虎とその7匹の子のためにその身を投げて虎の命を救った「捨身飼虎」(しゃしんしこ)の話や、飢えた聖者を救うために白兎だった釈迦が火の中に飛び込んで身を捧げた「捨身月兎」(しゃしんげっと)などは有名です。
これらの釈迦の前世は果てしない時間続いたとされます。
更に仏教では菩薩となっても、発心してから悟りを開くまでの期間のことを「三阿僧祇劫」(さんあそうぎこう)と言い、50の段階に分かれていて
- 第一阿僧祇劫…十信・十住・十行・十回向
- 第二阿僧祇劫…初地~第七地
- 第三阿僧祇劫…第八地~第十地
これまた長い時間が掛かり、その間「六波羅蜜行」を休まずに続けることが必要ですから、仏になるということは実に大変に時間と労力の掛かることであり、しかもごく限られた者しか成れないのです。
空海と即身成仏
弘法大師空海著の「弁顕密二教論」は顕教と密教とを四つの観点から比較考察し、密教の優越性を説いていますが、その中で「速疾成仏」とされていたものが同じく空海著の「即身成仏義」ではっきりと理論化されています
即身成仏義の核心
即身成仏義の一部ですが核心の部分です、前半4行が「即身」、後半4行が「成仏」の説明
六大無碍にして常に瑜伽なり。
四種曼荼各々離れず。
三密加持して速疾に顕わる。
重々帝網なるを即身と名づく。
法然に薩般若を具足し、
心数心王刹塵に過ぎたり。
各々五智無際智を具す、
円鏡力の故に実覚智なり。
難解な部分で、古より様々な解釈があり、議論されています。
即身成仏義の核心部分の意味
一部分だけを見ても全部が分かる訳ではありません、参考のために8行ですから1~8の番号を付けました
「即身」の部分
①六つの粗大なる存在「六大」は、さえぎるものもなく、常に融合しあっている。
②四種類の曼荼羅は、それぞれ離れることはない。
③仏と我々の身、口、意が、感応し合い、すみやかに悟りの世界が現れる。
④あらゆる身体が、帝釈天の持つ網に付いた宝石の如く、幾重にも重なりあうことを「即身」と言う。
「成仏」の部分
①あらゆるものは、あるがままに、全てを知る智慧を具えていて、
②全ての人には心「心王」と心の作用「心教」が具わっていて、無数に存在している。
③心と心の作用には、五種の如来の智慧と、際限ない智慧が具わっている。
④それらの智慧で鏡の如く真実を照らし出す故に、真実を悟った者となるのである。
即身成仏を目指す方法
生きたままで仏になるということは、密教では大宇宙そのものになることであり、宇宙の原理、真理を体得することでありますから、簡単なことではありません。
弘法大師空海も経典などの勉学にいそしみ、若い頃より山岳修行を重ね、更には衆生済度の実践を続けながらも高野山の開創や堂々伽藍の建築、布教活動、国家安穏の活動などを精力的にこなしてきたのですから、私達は弘法大師の数分の一の仕事もこなしていないのです。
空海が若い頃に成満した虚空蔵求聞持法は即身成仏を目指す方法としては有効です。
虚空蔵求聞持法とは決められた作法に則って虚空蔵菩薩の真言「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」を1日1万回ずつ100日かけて100万回唱えるという修行法です。
高知の室戸岬の崖上に座禅を組み、虚空蔵求聞持法を修行していた時に明けの明星である金星が口の中に飛び込んでくるという不思議な体験をしました。
明けの明星が口の中に飛び込んでくるという体験こそが虚空蔵求聞持法の真髄であり、明けの明星は虚空蔵菩薩の化身とされて、明星天子、大明星天王などと呼ばれることもありますので、この体験こそ虚空蔵菩薩と一体化した瞬間であり、轟音がして明星が飛来して、体が爆発して粉々に飛んでいくような物凄い体験なのです。
三密加持の修行を行い、即身成仏を達成したら「この身このままで仏になる」ということですが、密教では仏になって何をすべきだと説いているのでしょうか。仏になる目的をどのようにお大師様は説いているのでしょうか。この点が理解できません。修行してこの身このままで仏になるのも良し、三劫かかっても良し。要は密教で説く仏の境地、仏の働き、使命・・・、さらに具体的にどのような現世利益を享受できると説かれているのでしょうか。例えば、浄土教で説く「還相回向」のように極楽浄土に往生し仏となったものに対し、阿弥陀仏が期待する働き、あるいは使命といったものなどあるのでしょうか。ご教示賜りたくお願いいたします。佐藤
仏にも多くの仏が居られますので、仏の誓願はそれぞれの仏が説いていますので、自分がどの仏を目指すのかによって、おのずと為すべきことが決まってきます。それぞれの仏が上を目指しながらも自らの修行を積んでいて、大日如来は究極の姿ではありますが、それでも全ての衆生の救済が使命です。現世利益は次の段階に上がっていくための方便であり、魂の向上に繋がれば良いのです。