目次
閻魔大王とは
閻魔大王とは地獄や冥界の王として死者の生前の罪を裁く裁判官のことです。由来や姿、十三仏との関係、仕事の内容などについての説明。
閻魔大王の由来
古代インドの聖典である「リグ・ヴェーダ」では神々の系譜であるヴィヴァスヴァットとサラニューの子として生まれたヤマとヤミーの婚姻によって最初の人類が生まれたとされ、その後人類初の死者となったヤマは冥界の国の王になり、生前中に善い行いをした者が行く国と言われるようになりました。
ヤマとヤミー
太陽神ヴィヴァスヴァットとトヴァシュトリ神の娘サラニユーの間に初めての人間として生まれたヤマとヤミーは双子の兄妹でした。
古代インドの聖典「リグ・ヴェーダ」によれば兄であるヤマに恋した妹のヤミーは、兄に対する好きな気持ちを抑えきれずに積極的に求愛して自分と結婚し、子供を作るように迫ったそうです。
しかし妹のことをそのような対象と思わなかった兄のヤマは妹のヤミーをたしなめたそうです。
しかしこのような経緯があってか、ヤマとヤミーは兄弟と言えども人類初の夫婦であり、人類は彼らから誕生したと言われているのです。
最初に二人しか居なかったので兄弟と言えども夫婦になるしかなかったのです。
夜の始まり
やがて先に亡くなったヤマは人として最初に死んだ者として「死の道」を発見して死者の国の王になったのですが、残されたヤミーはヤマの死を嘆き悲しむばかりで、そのヤミーを慰めに、大勢の神様がやって来ます。
しかしヤミーは「今日ヤマが死んだ」と言って泣くばかりで、神々の言葉を全く聞こうともしません。
実はこの時にはまだ昼だけしか無くて、夜というものがなかったので、ずっと今日が続いていたのです。
そこで神々はなんとかヤミーを立ち直らせようとして、「夜」というものを作って一日を終わらせるようにしました。
やがて夜が来て休んで一夜明けると、ヤミーは「きのう、ヤマが死んだ」と言いました。
そして次の日には「おととい、ヤマが死んだ」と言いました。
そういった日々を繰り返していくうちに一年経ち、十年経ち…やがてヤマが死んだことを言わなくなり、すっかり忘れてしまうようになりました。
夜というものがあるから次の朝があり、それを毎日繰り返していたらいつの間にか深い悲しみさえも忘れてしまう、そうすれば心が楽になるということで、忘れることの大切さを教えてくれているのです。
閻魔大王は人類初の死者
人類初の死者となったヤマは冥界の国の王になり、ヤマ改め閻魔大王と言われるようになりましたが、冥界の国に行った最初の人でもあるのです。
冥界の国に行って王となった閻魔大王は最初は善い行いをした者だけが行く国だったのですが、やがて罪を犯した悪人も来るようになってからは死者の国の裁判官としての役割を果たすようになってくるのです。
閻魔大王の裁判の結果によって輪廻転生の六道と言われる地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界のいずれかに生まれ変わることが決定されるのですから、大変な業務であり、多くの部下や最新の道具を使って正しい裁判を行っているのです。
閻魔大王の姿
閻魔大王は冥界の裁判官であり、我が国への仏教の伝来がインドから中国経由で入ってきたことを思えば中国での冥界の王として死者を裁く裁判官としての姿が良く知られ、唐の官人の道服を身にまとい、王と書いた帽子を付けて手には「笏」(しゃく)を持ち、太い眉を吊り上げて怒りの表情をしています。
なお、私達の身近な所に生息している閻魔コオロギに閻魔の名前が付くのは、閻魔コオロギの顔の眉の所に眉が吊り上がっているような模様があるためで、これが閻魔大王の忿怒の顔によく似ているからと名付けられたそうです。
十三仏との関係
中国では道教の泰山地獄の王である泰山府君の王と共に冥界の王とされ、閻魔王として地獄の王となり、更に十王信仰に発展して広く信仰されるようになりました。
十三仏とは人の死後の世界を迷わぬように案内して導く仏のことで、十三の仏が死後33年まで導くとされ、死後最初の一週間は不動明王、次の一週間は釈迦如来という順番が決まっています。
中国での十王信仰は十三仏信仰と繋がって、十三王にまで発展し、閻魔大王は死後35日から一週間を担当する地蔵菩薩の変化身と見なされるようになりました。
十三人の裁判官は亡き人の死後7日目、14日目…というように順番に亡き人の生前中に犯した罪の裁判を行いますが、それぞれの裁判官は十三の仏の化身とされ、その関係は次のようになります。
- [十三仏] [裁判官] [法事] [命日から]
- 不動明王 秦広王(しんこうおう) 初七日 7日目、6日後
- 釈迦如来 初江王(しょこうおう) 二七日 14日目、13日後
- 文殊菩薩 宋帝王(そうていおう) 三七日 21日目、20日後
- 普賢菩薩 五官王( ごかんおう) 四七日 28日目、27日後
- 地蔵菩薩 閻魔王 (えんまおう) 五七日 35日目、34日後
- 弥勒菩薩 変成王 (へんじょうおう) 六七日 42日目、41日後
- 薬師如来 泰山王( たいざんおう) 七七日 49日目、48日後
- 観音菩薩 平等王 (びょうどうおう) 百か日 100日目、99日後
- 勢至菩薩 都市王 (としおう) 一周忌 2年目、1年後
- 阿弥陀如来 五道転輪王(ごどうてんりん) 三回忌 3年目、2年後
- 阿閦如来 蓮華王 (れんげおう) 七回忌 7年目、6年後
- 大日如来 祇園王 (ぎおんおう) 十三回忌 13年目、12年後
- 虚空蔵菩薩 法界王( ほうかいおう) 三十三回忌 33年目、32年後
閻魔大王は人の死後35日目に出てくる裁判官のことで、地蔵菩薩が本地仏になります。
閻魔大王の仕事
閻魔大王は死後の世界の案内人として、或いは死後の世界の裁判官として活躍しておられます。
死後の裁判とは
仏教では地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界の六道の世界を生まれ変わり死に変わりすることを輪廻転生と言い、死後にどの世界に行くかは生前中の行いによって決まるとされ、全てが自業自得の結果だとされますが、ある意味裁判官が居て、結果を判定した方が非常に分かりやすいということになります。
浄頗梨の鏡とは
浄頗梨の鏡とは閻魔大王による裁判の時に嘘をつくようなことがあったら、生きている時の行動を全て映し出すと言われる「浄頗梨の鏡」に真実が映し出されるようになっていますので、嘘をつくようなことがあってもバレてしまうのです。
私達は生まれるとすぐに「倶生神(ぐしょうしん)」と言われる男女の2神が両方の肩に憑き、善行と悪行を記録すると言われています。
さらに閻魔大王の元には真実を映し出される8枚の鏡があって真実をありのままに映し出すので、言い訳や嘘をつくことが出来ないようになっているのです。
「人頭杖」とは
「人頭杖」(にんずじょう)とは杖の上に乗った生首のことで、赤い首は悪行を見通し、白い首は善行を見通して善悪の判断をします。
善悪を決める裁判ですから、善か悪かのどちらかの判定が下されるのです。
他に閻魔大王を補佐する者として、「司命」は死者の行いを徹底的に明らかにし、「司録」は、罪を記録する為の筆や巻物を持っていると言われています
閻魔帳とは
閻魔帳とは閻魔大王が持っている帳簿のことで、人の生前中の善なる行いと悪なる行いの全てが記載されています。
死後の裁判の時に閻魔大王によって読み上げられます。
閻魔大王の休日
罪人に対して休みない責め苦を与え続ける地獄にもお盆と正月の年に二回の休みがあるそうで、この日には地獄の釜の蓋が開かれて閻魔大王と地獄の鬼に休日が訪れるのです。
この頃のことを「藪入りの日」と呼んで、商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日ですが、中々休みが取れない人でも取れる休みですから、地獄の獄卒も休みという事で寺院では縁日として多くの参拝があり、先祖の供養も行われるのです。
閻魔大王に舌を抜かれるとは
子供は知恵がついてきますと悪戯をしたにしても親に怒られないようにと嘘をつくようになってきますが、これは物事の前後を考えるようになったしるしであり、成長している証でもありますので、ある意味喜ぶべきことではありますが、嘘はついてはいけないものであることを教える必要があります。
子供が納得するようなことを言わなければ、同じ過ちを繰り返すことになります。
昔は親が子供の嘘に対して「嘘をついたら閻魔大王に舌を抜かれるよ」と諭されたものです。
善悪を決める裁判官である閻魔大王様に舌を抜かれるから嘘をついてはいけません、という説明ははとても単純で分かりやすいのです。
恵心僧都源信が書いた「往生要集」には嘘をついた人が堕ちる、大叫喚地獄で、獄卒に舌を抜かれるとありますので、実際には閻魔大王が舌を抜く訳ではありません。
閻魔大王は嘘をついた人の行先である大叫喚地獄を決定するだけのことで、その先の地獄で下を抜かれるという苦しみを受け続けるのです。
地獄の沙汰も金次第とは
「地獄の沙汰も金次第」とは、生前中に大きな罪を犯した死者が、死後の世界で閻魔大王の裁判を受ける時にでもお金を積めば罪が軽くなると言われていることから、この世の中のあらゆることがお金で解決できるということのたとえです。
「沙汰」とは裁判のことで、閻魔大王だって裁判の時に賄賂を渡せば罪を軽くしてくれるということはあり得ないことで、そのようなことを本当にしたらむしろ、より厳しい地獄に堕ちるのではないかと思います。
三途川には十王の配下に位置づけられる懸衣翁・奪衣婆という老夫婦の係員がいて、六文銭を持たない人が来たら衣服をはぎ取って渡し賃にするそうです。
ここで注目すべきは、死後の世界にも「六文銭」というお金が必要なことです。
「六文」必要なら、もう少したくさん持たせればきっと良い待遇を受けるのではないか、とも考えますし、少しでも死後の世界の裁判に有利になるようにとたくさん持たせてあげようとも思うはずです。
古墳時代から石棺の中や周囲には冥銭を始めとした装飾品が入れられていましたが、このような習慣も影響しているのかもしれません。
実際には死後の世界にお金など持っていけませんが、死後の世界にもお金が居るという言い伝えが今の時代にも残っていて、死者の首から掛ける頭陀袋には紙で印刷された六文銭が入っているのです。
地獄の沙汰も醸し出いという諺はこういう所から来ているのではないでしょうか。
閻魔大王の功徳
閻魔大王は冥界の王として君臨し、死後の世界の裁判官ですから、私達が生きている時にはあまり縁が無いことになりますが、死後に必ずお世話になることを思えば、悪い世界に堕とされないように準備しておく必要があります。
私達が悪い世界に堕ちるには理由があって、全てが自業自得であり、善なる行いに対しては善なる結果が、そして悪なる行いに対しては悪なる結果が待っているのであって、閻魔大王はそれを正しく裁くだけの仕事をしてるのです。
しかし裁判にも「匙加減」(さじかげん)というものがあるのなら、今のうちに頼んでおく方がよろしいかと思います。
善なる行いと悪なる行いに関しては在家の人が守るべき事として仏法では五戒という戒律があります。
閻魔大王の真言
閻魔大王の真言は
「のうまく さんまんだ ぼだなん えんまや そわか」
孫が、悪さしたら閻魔さんに連れて行く!と孫に言ってたら、近くの寺の閻魔さんに会いに行きました。それから朝学校に行く途中に閻魔様のおられる。お寺の前で手を合わせるようになりました。しばらくして孫が、じいじいは、觀音様やからといいだし、自分のことは、お地蔵さんと言いました。お地蔵さんは、閻魔様の化身だとすることを知りました。ありがとうございます