困った時はお互い様とは

災害に遭って困っているような人を助けることは人として当然のことで、自分も誰かに助けられる立場になることもあるのだから、助ける側は助けたことを恩に着せず、助けられる側は遠慮せずに援助を有難く受けることで世の中がうまく成り立っているという古来よりの諺。
助ける側

私達の身近にはその時々で困っている人が居るもので
- 車椅子の人が段差を登れない
- 具合が悪くなって道に座っている人が居る
- 道に迷っている人が居る
- 落とし物を探している人が居る
- お年寄りの人が徘徊しているようだ
- 子供が泣いている
- 熱中症で倒れたようだ
などのことで困っている人を見た時に、多くの人は見て見ぬふりをして通り過ぎてしまうのが現実です。
関わると面倒だから見なかったことにしようという考えが浮かんでしまうのは、見ず知らずの人に自分の時間を取られるのが嫌だと言う気持ちの他に、もしかして過去に同じようなことがあって助けてあげたのに誰にも感謝されなかったような経験がトラウマになっているのかもしれません。
通り魔事件や窃盗事件、傷害事件などが頻発する現代社会に於いてはなるべく見ず知らずの人に関わることを避けようとする心理が働いているのかもしれません。
しかし困っている人にほんの少しだけでも手を差し伸べて差し上げることは仏の世界での救済なのですから、仏の心に近付くためにも何らかの手を差し伸べてあげて下さい。
しかしよくあることとしてお金に困っている人が居るからと気軽にお金を貸してしまったが、何時まで経っても返してくれないようなことは、人間関係を台無しにしてしまうことであり、お金の貸し借りは真の意味での人助けではありません。
科学の発達した現代社会に於いても地震や台風などの自然災害に対しては人間の力は無力なもので、誰もが災害に遭う可能性があるのですから、自然災害で困っている人達に対してはボランティアの仕組みがありますし、誰でも参加出来ますので、こういう場で奉仕するのはとても素晴らしいことです。
見返りを期待してはいけない

せっかく困っている人を助けてあげたら普通はお礼を言いますよね。
しかしお礼も言わずに立ち去ったとしたら、おそらくほとんどの人がムカつくことでしょう。
今の時代よくあることとして、狭い道で車のすれ違いが難しい時に向こうがちょっと待てば難なく通れたのにわざわざ突っ込んできて、仕方ないからこちらがかなり後までバックして通してあげたのにお辞儀することもなく知らん顔して通り過ぎて行ったような時にほとんどの人は激しくムカつきますよね。
しかし仏教では「親切の見返りを期待してはいけない」と説きます。
見返りを期待した親切は「見返りをもらうための親切」になってしまい、見返りが無い親切をすることによって「損をした」という感情が生まれるからなのです。
ありがとうを言われなかったからといって決して怒ってはいけないのです。
恩を売らない

これは先ほどの「見返りを期待してはいけない」の延長線上にあることですが、相手に親切にすることによって自分の立場を優遇して欲しいと要求することです。
これを仕事に繋げると、あなたに親切にしたのだから、これくらいのことはして下さいねと要求されますと仕事上の付き合いの場合には関係が悪くなってしまいます。
困った時に助けてあげた相手に対して「私が助けてあげた立場だ」「あなたは助けられた立場だ」と恩着せがましく人前で自慢してはいけません。
助けられる側

困った時に誰かに助けてもらったら、必ずお礼を言わなければならないという決まりはありませんし、後でお礼をしなければいけないという決まりもありませんが、世の中にはプライドの高い人が居て、自分は誰かに助けられるような身分ではないから余計なことはしなくて良いと思っているかもしれませんが、こういう人は誰の力も必要なく自分一人の力で生きていると思っているのです。
困った時に誰かが助けてくれるということは、自分の事を置いてでも助けようとしてくれたということであり、結果がどうであれ、そういう人が居てくれるということはとても有難いことであり、天が差し向けてくれた人かもしれませんので感謝の気持ちを伝えましょう。
助けてもらったとしたら、その人に対しては人生の良き友になるかもしれませんので大切にしましょう。
そして真のお礼は次なる困った人を助けて差し上げることです。
普段は全く神仏や御先祖様に手を合わせる事など無いのに、困った時だけ一生懸命に祈っても聞いてもらえません。
神仏や御先祖様に頼みごとばかりする人もまたいけません。
神仏や御先祖様に対しては常日頃から手を合わせる習慣を大切にし、まずはいつも守って頂いている感謝の気持ちを伝えてお願い事は最後に少しだけするものです。
お互い様

今の世の中100年に一度レベルの自然災害が頻発し、戦争の足音が聞こえ、極悪犯罪が身近な場所で起こり、治安が悪くなり、経済が混乱し、人口減少で国力は落ちていく中で、ただでさえ生苦、老苦、病苦、死苦の四苦と愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を合わせた四苦八苦の苦しみが生きている限り続いているのに、更なる災難が次々と襲ってくるのですから、生活困窮者になる可能性は非常に高いのですから、こういう時こそ助け、助けられることが当たり前のことという意識を持ち、助けることが出来る人は困窮者を助け、助けられた人もまた誰かを助けることが「困った時はお互い様」の精神なのです。
仏の世界では衆生を救うことで如来になるのですから、困った人を救うこと自体が修行であり、善行であり、功徳なのです。
誰かを助けて差し上げて功徳を積むことが出来たと思えば自分が一番得をしたのですから、お礼など要らないのです。
この世で生きている時間は短いものであっという間に終わってしまいますので何か損をしたにしてもこの世で終わり、大したことではありません、私達の魂は永遠の旅を続けていて、本当に必要なのは徳を積むことであり、積んだ徳は決して消えることが無いのです。






