穢れとは

穢れとは人の死や不幸などを不浄と見做し、不浄に触れた者は他の人に移すことがあるために、不浄を忌み嫌って避けること。
穢れの具体例
穢れの具体的な例は
- 死…人や動物の死、腐敗の始まり、死ぬことは不幸であり恐れられるべきこと
- 病気…邪鬼が憑りついて原因不明の病気になる
- 出産…母子の命の危険を伴う苦痛と多量の血液、体液
- 生理…血が不浄のものとされているから
- 怪我…血が不浄である、痛み・苦しみを伴う
- 排泄物…体の中から出てきた物に虫が湧き腐敗し悪臭を放つ
- 犯罪…殺人などの罪を犯した者は体と心を汚してしまう
主に精神的な不浄を穢れとしていることが特徴ですが、穢れに触れる或いは接した人の穢れは他の人に移されて広がっていくということで忌み嫌われます。
穢れと汚れの違い
穢れは邪鬼が付く、身近な人の死に触れることで付く不浄など、眼に見えないものが憑いた状態の事で、汚れは綺麗な物に汚い泥やシミなどの目に見える物が付いた状態の事を言います。
穢れは精神的なことが多く実際の眼で見ることが出来ませんが、精神的な不安定になったり体調が悪くなるなどの症状が出て、穢れは人に移るものであり、眼に見えないが故に、穢れのせいで調子が悪いのかどうかの判断が難しいのが特徴です。
ほとんどの汚れが洗って干せば落ちるものであり、眼に見えることですから、汚れが落ちて綺麗になれば気持ち良いことです。
穢れと神道

神道では穢れというものを忌み嫌いますので、禊(みそぎ)、祓(はらい)と言って穢れを払うことを大切にしています。
禊(みそぎ)は体の穢れを落とすことで、祓(はらい)は罪や災いを取り除くことなのです。
私達に悪い物が憑かないように、そして憑いてしまった悪い物を取り払うのがお祓いの役割です。
神道の穢れの中で最も忌み嫌われる穢れは「死」の穢れであり、死者が出た家の家族は喪が明けるまで神社のお参りが出来ませんし、家の中にある神棚は「神棚封じ」と言って神棚を閉じて半紙などを貼り神様が穢れに触れないようにします。
穢れを払うには
神道で穢れを払うには「お祓い」と「お浄め」の方法があり、お祓いとお清めはよく似ていますが、お祓いとは邪悪な物を払うことで、お清めとは穢れを清めることです、掃除で例えればお祓いが埃を取り払うことで、お清めは水で洗ったり磨くことです。
神社でお祓い
何をやってもうまくいかない、不幸が続く、事業に失敗した、原因不明の病になった、夫婦が離婚の危機である、事故に遭ってしまった、子供が悪の道に走るなど長い人生の中ではいろいろな苦難に直面するものです。
お祓いは憑りついた悪を取り除くことで物事を改善の方向に向かわせる作用があります。
死の穢れを払う清めの塩

死の穢れに触れた人は神社にお参りすることが出来ませんのでお祓いを受けることが出来ません。
葬儀の時などに配られる御清めの塩は持ち帰って家に入る前に服の上からかけて清めるためのものです。
神道では人の死を穢れとみなし、神様に穢れがうつらないようにと神棚に半紙を貼り、家の玄関には喪中の札を貼ることから、葬儀に参列した人の穢れを家に持ち帰らないようにとの配慮で「御清めの塩」を配るのです。
御清めの塩の正しい使い方は
- 最初に手を洗い、水で手を清めます
- 玄関に入る前に服の上から振りかけること
- 一つまみの塩を指でつまみ胸元・背中・足元の順番に掛け、手で祓います
- 落ちた塩を踏んでから家に入ります
残った塩は料理には使わずに捨てますので、残らないように使います。
清めの酒

神道に於いて御神酒(おみき、ごしんしゅ)は神様に捧げる供物の中でも最上級のものとされます。
出来上がるまでに八十八の手間が掛かったとされる米は神に捧げる大切な供物なのですが、その米で作られた酒は最上の供物とされ、また祭事の時に供物として献上した御神酒を下げたお酒はその後に開催される直会(なおらい)で戴くことは、神の霊が宿った酒を戴くことになります。
また御神酒は御清めにも使われて土地の角に撒くこともあります。
土地の四隅と中央に撒くこともありますが、撒く時には少量で構いません、地鎮祭の時などではその後に皆で御神酒を戴くこともあります。
清めの水

水は御清めの基本で、自らの身体を清めるために水に入ったり滝に打たれたりすることが禊(みそぎ)であったり滝行、水行であったりするのです。
神社や寺院のお参りの前には身と心を清めるために手や口を漱ぐための手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)がありますし、清らかな水で洗うことによって汚れが落とされて洗い清められるのです。
水で清めたり洗ったりすることは世界共通であり、水は私達が生きていく上で欠かせないものであり、あらゆるものを浄化してくれる存在でもあります。
穢れと仏教

仏教では神道に見られるような精神的な穢れという概念は無ありませんが、戒律を破るような悪事を働くと死後に地獄や餓鬼・動物などの三悪趣に堕ちてしまうと説かれます。
仏教と死

仏教では「死」に対しては忌み嫌うことなく、寺院の中で葬儀など普通に行われますし、御本尊の引導を持って浄土に導いてもらうので、仏様の前に死者が横たわっていることは死者にとってとても有難いことなのです。
特に浄土宗では阿弥陀如来の名号である「南無阿弥陀仏」を唱え続けることにより極楽浄土に往生すると言われ、仏は死者を導く役割をしているのです。
平安時代中期の天台宗の僧で、浄土真宗では七高祖の第六祖とされ、浄土宗に多大な影響を与えた恵心僧都「源信」は「往生要集」を著して地獄から極楽浄土までの世界を詳細に表し、迷いの世界から脱して浄土の世界を目指すには阿弥陀如来にすがり、念仏を唱えるしかないことを説いた後世に残る代表作です。
念仏と著述の日々を送りながらの一生を終えたのは寛仁元年(1017)6月10日のことで、自らの信仰に基づいて阿弥陀如来の手に結び付けた糸を手にして念仏合掌しながら入滅しました。
仏教と罪

仏教では神道に見られるような精神的な穢れという概念は無く、五戒や十善戒などの戒律を破ることで魂のレベルが落ちていくので、戒律を守ること、そして徳を積む修行をすることで魂の浄化を目指します。
五戒は在家の人が守るべき戒です。
五戒は五つの戒から成り立ち、最も重要度の高い順から並びます。
- 不殺生戒(ふせっしょうかい)…生き物を故意に殺してはならない
- 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)…他人のものを盗んではいけない
- 不邪婬戒(ふじゃいんかい)…不道徳な性行為を行ってはならない
- 不妄語戒(ふもうごかい)…嘘をついてはいけない
- 不飲酒戒(ふおんじゅかい)…酒類を飲んではならない
十善戒とは仏教に於ける十悪を否定する形にした戒律のことです。






