墓じまいと祟り

墓じまいとは後継者の居なくなった人がお墓を撤去して先祖の遺骨を永代供養などに改葬することですが、果たして死後の安住の地であるお墓を無くすことで先祖の祟りはあるのでしょうか。
お墓の役割

お墓は先祖の霊が天から降りてくる依り代であり、死者の死後の世界で穏やかに過ごす安住の地であるとも言われてきました。
先祖の安住の地であるお墓を無くしてしまうと、亡き人達が困りますでしょうし、何処に行けば良いのか迷ってしまいそうな感じさえします。
先祖代々のお墓では親が子や孫を連れてお墓参りに行って先祖を供養を続けることで自らもまたこのお墓に入るのだという思いを持ち、やがて年老いて天寿を全うすると荼毘に付された遺骨は子や孫の手によってお墓に入って御先祖様の仲間入りをして子や孫に供養してもらうということを繰り返してきたのですから、お墓はある意味御先祖様が皆で一緒に暮らす家でもあるのです。
沖縄の墓が家の形をしていて人が中に入れるほど大きいのは、死後にお墓の中で暮らすという信仰があったからであり、沖縄の人々は生きている人が生活する家と死後に暮らす家の二つの家があることになります。
家は帰る場所であり、心の故郷であり、家族が仲良く暮らす場所なのてす。
亡くなった人達が仲良く暮らす場所であるお墓が墓じまいで無くなると、家を失くした御先祖様はどうなるのでしょうか。
諸行無常

諸行無常とはこの世の中のものは全て流動変化していて、常に同じ状態ではないと説く釈迦の悟りの内容です。
要するに永遠に続く物は何もないということであり、何時までもあり続ける、何時までも残り続けると言うことは無いという事実です。
寺院では永代供養と言って御先祖様の供養を永代に亘ってしてくれるという有難い仕組みがありますが、永代供養の「永代」は「永遠」ではありません。
永遠に供養してあげますと契約して莫大なお金をもらったところでその後何代にも亘って或いは永遠に供養し続けることなどあり得ないのです。
一般的には永代には30年或いは50年などの期限が決められていて、住職一代ということもあれば、納骨堂が続く限りということもありますが、いずれにせよ永遠という事は絶対にありません。
諸行無常の大原則に照らし合わせて見れば家門繁栄、子孫長久を願って建立されたお墓であっても何時かは無くなってしまうのです。
祟りとは

祟りとは神仏や怨霊などが人に対して災いを与えることです。
息子が急死したのは先祖の祀り方が悪い、お墓の墓相が悪い、墓参りをしていない、法事をしていないからだ。
ガンになったのは3代前の先祖の怒りに触れているからだ。
戦国時代に斬られた霊が憑いて祟っている。
井戸に落とされた女の人が悪さをしている…など調子が悪い、身内が次々と亡くなるので変だと思って霊能者に見てもらったらこのようなことを言われたらどうしますか?
実は先祖というものはそんな悪いことはいたしません。
ほとんどがインチキ霊能者のお金儲けのために仕掛けられた罠なのです。
先祖というものは子孫の者に対して只ひたすらに幸せになることを願っています。
不幸の原因は大抵が自分に原因があることが多く、それに気付いていないだけのことであり、人や物のせいにしたり、御先祖のせいにすることで納得しているだけのことです。
先祖に感謝の墓じまい

人口減少が進むこれからの時代、後継者が居なくなる人が増えるばかりで家系は途絶え住む人の居なくなった空き家は放置されて荒れ放題で倒壊の危険物件となり、管理する人の居なくなったお墓は無縁墓として放置され草木が生え放題で隣近所に迷惑を掛けて惨めな姿を晒し続けます。
お墓に関しては後継者が居なくなったことが分かった時点で綺麗に片付けておかないと多くの人達に迷惑を掛けるだけでなく、大切な御先祖様が無縁仏になってしまいます。
御先祖様を無縁にしない為にも墓じまいしてお墓を綺麗に片付け、合葬墓に納骨するなどの方法を出来るだけ丁寧に行えば必ず御先祖様も納得して頂けます。
私も僧侶の立場として後継者の居ない方の為にお墓に眠る御先祖様を丁寧に読経供養して墓じまいし、散骨供養や安価で安心して利用出来る合葬墓や樹木葬などにご案内する活動を続けています。
安住の地だと信じてお墓に眠っている御先祖様に対して放置して無縁にしてしまうことはいけませんし、何の断りもなく違う場所に連れて行くことは御先祖様の立場に立つと好ましいことではありません。
読経供養をする目的は御先祖様に説明納得の上で新しい場所にご案内することです。






