数珠とは

数珠の処分とお焚き上げ

数珠とは念珠とも言い、穴の開いた球に紐を通して輪にして、念仏の数などを数えるために使う宗教用具です。

数珠の歴史

数珠の歴史

数珠が何時頃から今の形になったのかは定かではありませんが、釈迦以前の3500年以上前の時代に成立したバラモン教の聖典には、毘沙門天弁財天梵天の持ち物として「連珠」というものがあって、それが数珠になったのではないかと言われています。

連珠とは丸い珠が連なって輪になったもので「連珠模様」という丸い珠が連続した模様も古来より存在します。

釈迦と数珠

釈迦の説法-数珠について

大蔵経の中に収録されている木槵経(もくげんきょう)は木槵子経(もくげんじきょう)とも言い、その中には釈迦と難陀国の毘瑠璃王との対話の部分に数珠の話が登場します。

木槵経原文

木槵経のイラスト

佛説木槵子経

時難國王名波流離來到佛所白佛言世尊我國邊小頻歳寇賊五穀勇貴疾病流行人民困苦我恒不得安臥乃至唯願世尊特垂慈愍賜我要法使我日夜易得修行未來世中遠離衆苦

佛告王言若欲滅煩悩障報障者當貫木槵子一百八以常自隨若行若坐若臥恒當至心無分散意稱佛陀遠摩僧伽名乃過一木槵子如是漸次度木槵子若十若二十若百若千乃至百千萬若態滿二十萬遍身心不亂無諸詔曲者捨命得生第三燄天衣食自然常安楽行若復能滿一百萬遍者常得斷除百八結業始名背生死流趣向泥洹永斷煩悩根獲無上果

木槵経の訳

僧侶の説明

ある時釈迦の元を訪れた難陀国の毘瑠璃王は外敵の侵入や盗賊の被害により五穀は実らず、疾病も流行しているので、安心して眠ることが出来ないと相談します。

それに対して釈迦は木槵子(もくげんじ)という木の実を百八個つないで身に付けて、「仏法僧の三宝を称賛するごとに、木槵子の珠一つを繰るべき」であり、「仏の名を唱えることを十回、もしくは二十回、もしくは百回、もしくは千回、もしくは百千万回、もしくは二十万回充分に唱えれば、心と体が乱れることなく、諸々の迷い苦しみはなくなります」そして「命を落として、炎天地獄に行った場合でも、このように現世で念仏を唱えていれば、衣食や環境に困ることはありません」と説きました。

さらに「もし、百万回念仏を一生懸命に唱えることができたなら、百八ある悪行の報いを除き、断ち切ることができます。こうすれば、はじめは生死の流れに背いて、地獄に向かう人も煩悩の根源を永遠に断ち切って、この上ない果実を得ることができるのです」

数珠の功徳

虚空蔵求聞持法

木槵経には素晴らしい数珠の功徳が書いてありますが、これは数珠の功徳というよりもむしろ「仏法僧の三宝を称賛すること」と「仏の名を唱えること」の功徳が書いてあるのです。

特に「もし、百万回念仏を一生懸命に唱えることができたなら」の部分は重要で、これは例えば虚空蔵菩薩真言を百万遍唱える「虚空蔵求聞持法」にもつながっていることで、数多く念仏を唱えることは仏教の修行の基本ともなることです。

数珠は記念として頂くことがある

記念品としての数珠

数珠というものは仏門に入って得度受戒などの時に師僧から記念として頂くことがあり、こういった数珠は大抵高価な数珠なので、一生の宝物として使うことになります。

また高野山に行くような時には山上には塔頭寺院がひしめく中で、土産物の通りの中に老舗の数珠屋があって、実にたくさんの数珠が並べてあり、本当に高価なものは鍵のかかったショーケースに並んでいます。

こういったお店で参拝の記念に数珠を買うことも良い思い出になるはずです。

数珠は修理して使うもの

数珠が切れた

数珠はただ持っているだけではなくて、使うものであり、真言念仏を唱える時の数を数えるための重要な法具になり、特に真言宗では数珠を擦るという使い方をしますので、長く使っていますと切れることがあります。

数珠が壊れるということは大抵は紐が切れるということでありますので、そのような時には数珠屋に持って行けば修理してくれますし、紐を全部綺麗な物に取り換えてくれます。

自分で直してみたいという方は

切れた本式数珠を自分で修理

何時までも大切に使うという心は大切です。

数珠は法事お葬式の時だけに持つものではありません、日常の法具として毎日使う物ですから、使えば使う程馴染んできて味わい深いものに変化していくのです。

修行を積んだ僧や大僧正などが持つ数珠は、修行の証としての念がこもったものになりますので、病気の人の患部にそっと当てるだけで病気を治す力を持つと言われています。

法具は師僧から弟子に伝えるものであるが故に大切に使い、そして使い込まれた法具を受け継いだ者は一生の宝物として使い続けるのです。

数珠の処分とお焚き上げ

数珠の処分のイラスト

一般的な数珠は冠婚葬祭のスーツを買う時にセットで買うことが多く、大抵は法事や葬儀用としての用途になりますので、使っている人が亡くなった時には不用品として処分されることが多いのですが、どのようにしたら良いのでしょうか。

数珠の処分

ごみとして捨てる

亡くなった人の遺品整理の時に数珠が出てきた、腕輪念誦が切れたけれど修理するほどの物ではない、腕輪念誦のゴムが伸びてしまった、人から頂き物の念珠だけど使わなかった、などの理由で数珠を処分する時にはゴミとして捨てると罰が当たりそうです。

どうしても捨てる時には大抵は燃えないゴミになりますが、半紙や白い紙に乗せて塩を振り、合掌礼拝してから包んで捨てますが、アクセサリーとしての数珠でしたらこの方法で構わないと思います。

数珠のお焚き上げ

やすらか庵のお焚き上げ供養

使ったにしろ使わなかったにしろ、法具と言われるものですから、特に巡礼などで常に持ち歩いていたような数珠でしたら念が籠っていると言いますか、大切な思い出になるようなもので御座います。

法具の類で不要になったものはやはりお焚き上げ供養という方法が最も好ましいのではないかと思います。

やすらか庵のお焚き上げは全国対応ですから、全国どこからでも郵送や宅配便を使って利用することが出来ます。

神仏の供養のために使ったものは、最後には神仏にお還しすることが理想です。

次のようなお焚き上げのコースで送ることが出来ます。

スマートレターを利用したお焚き上げ供養1,000円エンター

A4サイズお焚き上げ供養2,000円エンター

レターパックプラスによるお焚き上げ供養3,000円エンター

たくさんある時には

宅配便80サイズのお焚き上げ5,000円