目次
菩薩とは
菩薩とは仏教の究極の悟りの境地である如来を目指して修行している如来の一段階前の状態の者のこと。
菩薩の由来
菩薩はサンスクリット語でボーディ・サットヴァ(bodhisattva) と言い、悟り(bodhi)を求める衆生(sattva)という意味になります。
釈迦の前世を記したジャータカでは、釈迦が悟りを得る前の前世での修行中の身だった頃のことを菩薩と表現しています。
仏教に於いては悟りの境地である如来に至る段階として52の境地に分けられていて、菩薩五十二位と呼ばれています。
菩薩五十二位とは
菩薩は仏道を志した者が少しずつ魂のレベルを上げていき、悟りを目指す修行の段階を示しています。
十信から始まって、最後の妙覚を目指します。
- 1~10位…十信(じゅうしん)…信仰を深めていく段階
- 11~20位…十住(じゅうじゅう)…心を安住の領域に持って行く
- 21~30位…十行(じゅうぎょう)…利他行に励む
- 31~40位…十廻向(じゅうえこう)…自利、利他行の功徳を一切衆生に廻向する
- 41~50位…十地(じゅうじ)…仏の智慧を得てあらゆる衆生を利益する
- 51位…等覚(とうがく)…悟りの状態に等しい
- 52位…妙覚(みょうがく)…最高の悟りの状態
菩薩が仏道を目指してから52の段階があって一つ一つ上がっていくのですが、菩薩の修行は気の遠くなるような長い時間をかけて行っていますので、仏になるという事は簡単なことでは無いのです。
釈迦も気の遠くなるような長い輪廻転生を繰り返しながら修行を積み重ねて菩薩の境地を積み重ね、現世に於いてやっと如来になることが出来た唯一の実在の人物ですから、菩薩の修行というものが如何に困難であるかが分かるのです。
法蔵菩薩の誓い
「仏説無量寿経」には阿弥陀如来の前身である法蔵菩薩が如来になるために立てた願いが説かれていて、四十八願と言い、その中の十八願は浄土宗の念仏の根拠となっています。
第十八願には「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法」の記載があり、「私が仏になるとき、全ての人々が心から信じて、私の国に生まれたいと願い、十回でも念仏して、もし私の国に生まれることができないなら、私は決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」この部分を浄土宗の開祖である法然は最も重要だと考え、ただひたすらに念仏することをすすめたのです。
法蔵菩薩が全ての衆生を救うという願いは、あまりにも大きな願いであるが故に、只ひたすらに修行を続けているのですが、如来になるという事はとても困難なことなのです。
菩薩の種類
菩薩は悟りを求めて修行する者ということで、成道前の釈迦の姿が基本になっていますが、全ての人を救うために修行しているので、菩薩に救ってもらおうという信仰が今でも根付いています。
良く知られた有名な菩薩について解説いたします。
弥勒菩薩
弥勒菩薩とは梵名をmaitreya(マイトレーヤ)と言い、仏教では釈迦牟尼仏の次にこの世に出現する未来仏であり、如来になるために修行中の菩薩部の仏です。
虚空蔵菩薩
虚空蔵菩薩は梵名をアーカーシャガルバ(आकाशगर्भ [Ākāśagarbha])と言い、明けの明星は虚空蔵菩薩の化身とされて、明星天子、大明星天王などと呼ばれることもあります。
弘法大師空海も若い時に修法した虚空蔵求聞持法とは決められた作法に則って虚空蔵菩薩の真言「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」を1日1万回ずつ100日かけて100万回唱えるという修行法で、この修行法を成満した者はあらゆる経典を瞬時に理解して記憶する能力が得られるという修行法ですが、成満することが大変に困難で、一歩間違えば発狂、死と隣り合わせの荒行です。
地蔵菩薩
地蔵菩薩はサンスクリット語では「クシティガルバ」(क्षितिघर्भ [Kṣitigarbha])と言い、クシティが「大地」、ガルバが「胎内」、或いは「子宮」の意味であることから、大地の子宮、ありとあらゆる生命が還る所であり、生まれる所でもあるのです。
地蔵菩薩は刀利天に居住し、釈迦の入滅後56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間は如来が不在になるために、その間に六道に現れて衆生を救う任務を任されています。
文殊菩薩
文殊菩薩は釈迦の脇侍として普賢菩薩と共に祀られることが多く、その場合文殊菩薩は師子に乗り、文殊菩薩は6本の牙を持つ白い像に乗って合掌している姿が多い。
釈迦十大弟子とも親しく仏典結集にも関わったとされる文殊菩薩は実在の人物として、智慧の菩薩として敬われています。
普賢菩薩
普賢菩薩は釈迦の脇侍として文殊菩薩と共に祀られることが多く、その場合文殊菩薩は師子に乗り、普賢菩薩は6本の牙を持つ白い像に乗って合掌している姿が多い。
その他の菩薩
菩薩は衆生済度のために様々な形で活躍されて居られます
- 勢至菩薩
- 日光菩薩
- 月光菩薩
- 薬王菩薩
- 薬上菩薩
- 二十五菩薩
- 龍樹菩薩
- 馬喰菩薩
- 般若菩薩
- 五大力菩薩
観音菩薩のいろいろ
菩薩になるには
菩薩は修行中の者という意味の他に、如来になることが決められた者という意味合いがありますので、私達が菩薩になることは到底無理なようです。
しかし菩薩に成れなくとも近づくことは可能ですので、仏教の修行は本来は悟りを目指すことであり、全ての者が救われなければいけませんので、魂の向上を目指すならば菩薩の道は当然通る道なのです。
菩薩の大切な役割と修行は衆生済度であり、迷える衆生を救い上げることなので、私達は菩薩に救ってもらえるように頼むことと、菩薩に近づくための利他行の実践を続けることにより、菩薩に少しでも近づくことが出来るのです。
しかし実際には私達が仕事をしながら、家庭を持ちながら出来る修行は限られていますし、様々な誘惑に負けてしまい、魂を汚してしまうことばかりです。
私達は今ここで自分の生まれてきた理由と自分の為すべき使命、そして自分が何処から来て何処に向かっているのかを正しく知る必要があるのです。
生きている時間は短いもので、あっという間に終わってしまいます。
今の一瞬を精一杯生きる事、そして命を大切にすることです。