毘沙門天とは

毘沙門天

毘沙門天はインドのヒンドゥー教の戦いの神クベーラ神が仏教に取り入れられてから毘沙門天になったと言われます。

単独でも祀られますが、仏法を護る四天王の北方を守護する多聞天として、七福神として、或いは妃の吉祥天女と子の善膩師童子の家族神として祀られています。

仏法では人が死後に生まれ変わり死に変わりする輪廻転生する世界を六道と言い、前世の行いによって下の地獄の世界から上の天界までが存在します。

六道とは地獄餓鬼畜生阿修羅人間天界で、天界は六道の中では最上位にあります。

やすらか庵では毘沙門天をお祀りしています。

毘沙門天とは

毘沙門天についての詳細は…毘沙門天とは-姿と特徴

毘沙門天についての経典は…毘沙門天王功徳経

これは役に立つ…利他行のすすめ

四天王としての毘沙門天

四天王としての毘沙門天

毘沙門天は天界の仏国土の四方を守護する四天王の中では東方-持国天、南方-増長天、西方-広目天、北方-多聞天となり、北方の守護神となります。この場合には「多聞天」と言われます。

「日本書紀」によれば仏教の採用をめぐっておこされた蘇我馬子と物部守屋との戦いに参戦した聖徳太子は、四天王に祈願して勝利を得たことで信仰を深め、摂津国玉造(大阪市天王寺区)に四天王寺(四天王大護国寺)を建立したのが四天王を祀る寺院の始まりです。

七福神としての毘沙門天

七福神

毘沙門天は我が国では七福神の中の福の神としても登場します。

神様が7人揃って宝船に乗り、金銀財宝を皆に届けるという七福神信仰は縁起の良い目出度い神として古来より祀られています。

恵比須天大黒天、毘沙門天、福禄寿寿老人弁財天布袋尊の中に加わり、宝船に乗って幸せを届ける福徳神としての信仰であり、毘沙門天は船の安全を守り外敵を防ぎ、行先を支持する船頭神としての存在です。

七福神の神々が笑顔で喜びに溢れている表情をされている中で毘沙門天だけはいかつい顔をされていますが、船頭としての外敵を防ぎ安全を守るという役目を果たしておられるのです。

更に詳しく…七福神と毘沙門天-姿と特徴、信仰、霊場巡り

兜跋(とばつ)毘沙門天

単独での毘沙門天

時は唐の玄宗(げんそう)皇帝時代、国土を奪う戦いで中国西域の安西城(あんせいじょう)が敵に包囲された時、僧侶達の祈りによって土地の神が地中から兜跋毘沙門天を湧出させて城の楼門に出現し、敵を退散させたという伝説があります。

兜跋毘沙門天

それ以来その後、中国では兜跋毘沙門天の仏像を都城の楼門上に守護神として祀る風習が続いたそうです。

兜跋毘沙門天は武将系の姿をしている毘沙門天の中でも最も異国風の姿をしていて、大地の神である地天に両足を支えられて立ち、2匹の鬼である尼藍婆、毘藍婆を従えています。

頭には筒状の宝冠をかぶり、外套状の金鎖甲(きんさこう)という鎖を編んで作った鎧を着て、腕には海老籠手(えびごて)と呼ぶ防具を着け、手には宝塔と宝棒・戟を持つ姿が一般的ですが、地天女に支えられて二匹の鬼を従えた一般形の毘沙門天もあります。

我が国では弘法大師空海が唐から招来して平安京の羅城門上にお祀りしていたものを現在では教王護国寺の毘沙門堂に安置されている像が国宝として有名です。

延暦二十年(801)、熱烈な毘沙門天信者であった征夷大将軍坂上田村麻呂は激戦の末に蝦夷を制しことに感謝して百八体の毘沙門像を祀る窟毘沙門堂を先勝の地である達谷窟(たがや)に造り国家鎮護の祈願所としました。

「兜跋」は「刀抜」「屠半」「百体」「百八」などの字があてられ、我が国でも国家的な祈願として百体、百八体毘沙門天が作成されました。

家族神としての毘沙門天

毘沙門天信仰

毘沙門天は家族神の形態をとることがあり、その場合には妃が吉祥天女、子供が善膩師童子の、夫婦、親子の姿で並び、仏像では毘沙門天を中心に左側に吉祥天女、右側に善膩師童子を伴います。

仏法ではこのように家族の形でいるということはとても珍しく、悟りを目指す仏法では家族であるということはむしろ執着を増すことかもしれません。

しかし毘沙門天のおられる天界が、私達人間界の世界のすぐ上で、身近にあること、そして天部としては天界の入り口にあって、天界以下に対して仏法を最も分かりやすい形で説く使命があることを思えば、家族という形をとりながらも、高度な仏法を実践しておられるのです。

さらに詳しく…家族の神

毘沙門天の使命

毘沙門天の使命

毘沙門天は常に私達の身近な所におられ、皆が真の幸せになることを願っており、自己満足ではない、他を思いやる気持ちでお願いすれば強大な力で願いが叶います。

しかし自分勝手なことや、他に対する思いやりのないことをしていますと、大変に叱られてしまいます。

神仏は利用するものではありません、私達の目に見える世界と目に見えない世界は隣り合わせ、少なくとも自分が幸せになろうと思ったら、目に見えない世界を無視しては幸せにならないものなのです。

目に見える世界だけを一生懸命に見て、何故幸せにならないのだろうと周りを見回していても、決して気付かないこともあるのです。

お釈迦様の悟りとは、第3の目、つまりもう一つの心の目が覚めたということで、もう一つの目を通して世の中を見てみると、今まで分からなかったことも分かってくるのです。

毘沙門天は命を強くしてくれます…命の神

毘沙門天で金運上昇…金の神

毘沙門天は幸せな時間の使い方を教えてくれます…時間の神

勝負必勝

毘沙門天は勝負必勝

毘沙門天の使命は仏法の邪魔をする外敵から護ることであり、聖徳太子の時代に我が国に入ってきた仏教は、賛成派の蘇我氏と反対派の物部氏との戦いとなり、戦勝を祈願した聖徳太子に毘沙門天が戦勝の秘宝を授け、勝利した聖徳太子は「信ずべし貴ぶべき山」として信貴山と名付けて、毘沙門天王を祀られたという縁起があります。

また熱狂的毘沙門天信者の上杉謙信は自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じて生涯毘沙門天信仰を貫き、48年という短い生涯ではありましたが戦った回数70回の内、引き分けか不詳2回を除いた残りが全て勝利という驚異的な強さを誇るのです。

このように毘沙門天は勝負必勝の神として名高い訳ですが、鎧兜に身を包んで、仏法を邪魔する外敵から護るという役割を担っているからであり、外敵との戦いにおいては勝負必勝であり、私達の人生に於いて勝負をかけるような一大事に毘沙門天の力を頂ければ、負けることが無いのです。

外敵を寄せ付けない勝負必勝は、厄を寄せ付けない厄災消滅や、家の中を守る家内安全などにも通じています。

毘沙門天は相手を滅ぼすために勝つのではなくて、相手と共に共存しながら負けないことの大切さを説いています。

毘沙門天で開運を…毘沙門天開運法

毘沙門天の大きな力…力の神

智慧を授ける

毘沙門天が手に持つ宝塔は仏法の経典であり、ありとあらゆる智慧が詰まっていて私達に知恵を授けてくれます。

私達が困難にぶつかって困っていたり、間違った方向に進んでいたりすると毘沙門天は出しい知恵を示して下さるので、正しい智慧の結果として勝負事にも勝つのであり、悪いことをして勝つということは許されないことなのです。

毘沙門天の智慧は私達が生きていくために必要な智慧であり、より幸せになるための智慧なのです。

悪を許さない

毘沙門天が足元に踏む邪鬼は私達の心の中に潜む悪業や煩悩であり、常に誘惑の魔の手を差し出して、怒りの心や貪りの心、無智の心などで支配しようとしています。

怒りの心や貪りの心、無智の心の結果として知らない内に人を傷つけていたり、人から嫌われたりしているのです。

毘沙門天は足元の邪鬼を踏むことによって私達の心の中の悪の部分を知らせてくれて、正しい方向に導いて下さるのです。

真の幸せ

幸せとは自分が満足することも幸せですが、こういった幸せは欲望と隣り合わせで、満足しても満足してもまた次の新しい欲望が湧いてきます。

より強い欲望を満足させようとしたら、知らない内に他人を傷つけていることもあるのです。

こうなってしまったら、もはや幸せではありません。幸せとは、高いお金を出して遠くにあるものではなくて、案外すぐ身近な所にあるものです、病気になった人にとってみれば、日常の普通の健康というものが、大いなる幸せに見えます。

災害で家を無くしてしまった人にとってみれば、普通の家で普通に暮らしていることがどんなに幸せに映ることでしょう。

幸せとは、普通の日常の中で、「ありがとう」、「良かったね」と感謝の言葉を口に出して言うことなのです。心に思っているだけではいけません、必ず声に出して言うのです。声に出して言えば言霊になります、

言えば言うほどループして有難い空間が出来てくるのです。お経もそうです、真言(マントラ)もそうです。神々の言葉は私達の発する言葉とは違いますが、共通の波長とリズムはあるのです。

そして他の苦しみを取り除いて幸せになったことを喜ぶ幸せは、もっと次元の高い幸せであり、仏の世界の幸せとも通じますので、より高い幸せを目指していきましょう。

天の神毘沙門天と地の神不動明王の護摩で…最強のお焚き上げ供養

四天王から見た毘沙門天の世界

私達人間を含む一切衆生が生まれ変わり死に変わりの輪廻転生する世界を三界と言い、淫欲、食欲の二欲の強い者が住む欲界と、二欲は離れたがまだ物質的なものに捉われた者が住む色界、物質を超えた世界に住む無色界の三つの世界のことです。

三界とは

欲界とは

私達衆生が生まれ変わり死に変わりする六道と言われる地獄餓鬼畜生修羅人間の世界と、六欲天と言われる四天王、三十三天(忉利天)、夜摩天、覩史多天(兜率天)、楽変化天(化楽天)、他化自在天から成る淫欲と食欲が強い世界で、地獄の地下世界から人間、動物などの地上世界、天の世界までが混在します。

色界とは

淫欲と食欲から離れた者が住む世界のことで、清らかで純粋な物質だけがある世界で、欲望や煩悩は無いけれど、物質的な捉われがあります。

四禅を修めた者が生まれ変わる世界で、その段階によって初禅天、第二禅天、第三禅天、第四禅天に分けられます。

天界の上層は色界に属していて、梵衆天から色究竟天までの十七天があります。

無色界とは

天界の最上部にあって、欲望から離れ、物質からも離れて精神的な要素のみで成り立っている世界のこと。

物質が全く存在しないで、心の働きである受・想・行・識の四蘊だけからなる世界で、空無辺天から非想非非想天までの四つの天があります。

最高の天のことを有頂天(非想非非想天)とも言いますが、最高に上り詰めた者が得意になって上の空状態であることを戒める言葉として使われます。

須弥山について

三千大千世界

須弥山とは仏教における世界観で、世界の中心にそびえる山のことで、その高さは八万由旬(ゆじゅん=一由旬は40里、一里は約4km)あるとされ、頂上には帝釈天を始めとした三十三天(忉利天)、山腹には四天王が住んでいて、日と月がその周囲を回り、七つの香海と七つの金山がこれをとりまき、七金山の外の海を越えた所に鉄囲山が外郭をなし、海には瞻部洲など四大洲があって、衆生が住んでいます。

またその下には地獄の世界も続いています。

四天王の役割

六欲天の第一天である四天王は、私達の世界に続く須弥山の頂上に住む帝釈天に仕え、八部鬼衆を眷属として仏法守護の役割を担います。

四天王の身長は半由旬、寿命は500歳で、その一昼夜は人間界の50年に相当します。

  • 持国天 – 東勝身洲を守護。乾闥婆、毘舎遮が眷属
  • 増長天 – 南贍部洲を守護。鳩槃荼、薜茘多(へいれいた)が眷属
  • 広目天 – 西牛貨洲を守護。龍神、富単那が眷属
  • 多聞天 – 北倶盧洲を守護。夜叉、羅刹が眷属

我々の世界は果てしなく広い世界の中にある

私達の住む世界は下は地獄から上は天まで果てしなく広い世界の中にあります。

地獄
地獄草紙 雨炎火石地獄

地獄の世界は私達の世界から1千由旬下の等活地獄から始まり、八大地獄と言われる地獄の一番下には真っ逆さまに落ち続けても2千年はかかるそうです。

地獄の構造、仕組み

地獄の世界では、一番罪状が軽くて軽い刑罰の等活地獄であっても一度地獄の住人になれば、互いに敵対心を起こして、1兆6653億1250万年もの長きに亘って自らの身に備わった鉄の爪や刀剣で殺し合いを延々と続けるのです。

そのような世界では仏法に巡り合うことも出来ず、修行することも出来ないのです。

更にその下には罪状に応じてまだまだ深い地獄の世界が続くのですから、こういう世界にだけは行かないように心掛けなければいけません。

人間世界の素晴らしさ

私達の周りの世界を見てみますと、人間世界はとても素晴らしい世界であることが分かります。

仏法の修行をするのにも人間世界が最も適した環境のようで、天界に行っても楽を享受してしまい、徳を積むことを忘れてしまい、次も天界に生まれることはとても困難なのです。

毘沙門天は私達に人間世界の素晴らしさを説くと共に、家族の尊さも説き、次に生まれ変わってくるのならまた人間であるように説いているのです。